大阪府は弊社のレントゲンフィルム(工業用X線フィルム)の買取・回収対応可能エリアです。大阪府内のお客様からのご依頼・ご連絡・ご相談をお待ちしております。誠に恐れ入りますが、フィルムが少量の場合は着払いにてご送付頂くか、近隣に回収に伺った際についでのタイミングで回収させて頂きますので、お時間を頂く場合がございます。詳細はお電話にてお問合せをお願い申し上げます。
●フィルムのリサイクルとは関係ないですが、「知ってますか大阪のこと?」コーナーです!
もともと「漫才」は平安時代に家々を回り新年を祝う口上を述べた二人組の歌舞が起源といわれています。この歌舞は「万歳(萬歳)」と呼ばれていましたが、後年になって大阪では形を変えて寄席演芸の「万才」として発展していきます。
明治時代の万才は三味線や鼓を使った伴奏入りのもので、ボケやツッコミもこの時代に生まれました。関西を代表する漫才コンビである横山エンタツ・花菱アチャコは楽器を一切使わず、話芸だけで観客を笑わせる「しゃべくり漫才」というスタイルを確立したのです。現在の「漫才」という名称が登場したのは昭和に入ってからで、当時の吉本興業の宣伝部が初めて「漫才」という言葉を使用しました。この漫才の伝統は平成の今の時代まで脈々と受け継がれています。
千利休は「茶道の元祖」ともいわれ、茶の湯の道で豊臣秀吉に仕えたことで知られています。実はこの千利休が大阪名物である「たこ焼き」のルーツを考案したという説があるのです。
たこ焼きの材料は小麦粉やタコですが、江戸時代に入るまでの小麦粉は高級品で庶民の口に入るような食材ではなく上流貴族のみが楽しめるものでした。千利休はその高価な小麦粉を水で溶き、薄く伸ばして焼いてミソを挟むというお菓子を考案して茶会で供していたそうです。この小麦粉のお菓子が「もんじゃ焼」や「どんどん焼」につながり、さらに「ちょぼ焼」「ラヂオ焼」と変化して現在の「たこ焼き」が作られたといわれています。つまり「たこ焼き」のルーツとなったのは千利休の考案した小麦粉のお菓子ということになるわけです。
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